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介護のトピックス

"旅”という贈り物 第2回(現在、全2回)

【介護旅行記】単身赴任で長崎の大島にいる息子に会いたい

要介護者・高齢者の付添い介護付き旅行しゃらくの一番最初のお客様、Oさんとの旅の思い出です。

投稿日時
2014年7月2日
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単身赴任で長崎の大島にいる息子に会いたい
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単身赴任で長崎の大島にいる息子に会いたい。

ハンチング帽に眼鏡のOさん

ハンチング帽をかぶり、おしゃれなメガネをかけ、表情は常ににこやかなOさん。
「華のある方」というのが最初の印象でした。
20代で満州へ行き、戦時中に出会った看護師の奥様と結婚されたといいます。

「一生懸命遊び、人生を楽しむことこそが生きがいだ。」
と何度もおっしゃっていました。

だから、と言えるのかはわかりませんが、医師に体に悪いと言われても肉をたくさん食べたり、お酒を飲んだりすることはあまりやめようとは思われなかったようです。

ただ、一方で体が弱くなってきていることを実感されているようで、息子さんと会ってゆっくり話をしておきたいと長崎行きを決められました。

飛行機でも街中でも、伝わってくる旅の楽しさ

いよいよ自宅を出発です。
少し緊張されている感はありましたが顔色もよく、状態はよさそうです。

車いすに乗ることに抵抗があるようにおっしゃっていましたが、空港から車いすを使われました。

飛行機から見る景色がお好きだと事前に聞いていたので窓側のお席をご用意しましたが、すでに大変喜んでくださっていてご自身のカメラで何度も景色を撮っておられました。

長崎空港に到着してからも、Oさんはすこぶる上機嫌です。
街中を車いすで移動し、旅行気分を味わっていただきました。
車いすに座りながら、ここでも何枚も写真を撮られていました。

カメラを構えるOさん

念願の息子さんとの再会。

ついに、長崎のホテルで息子さんと念願の再会です。
久しぶりの再会にOさんの顔が喜びでくしゃくしゃになっておられました。

お皿からはみ出すほどに盛られたふぐを目の前にして全員で乾杯。
Oさんも息子さんももう喜びを隠しきれないといった様子でお二人の話が止まりません。
お箸も酒も進み、最高に楽しい一日となりました。

バスに乗るOさんと息子さんと須貝さん

舞妓さんとの出会いに大興奮!

翌日は、映画「長崎ぶらぶら節」で観た街並みを歩きたいとのことで丸山町までの道のりを文字通りぶらぶら歩くことにしました。
途中花街にさしかかると、とても若い芸妓さんと出会いました。
話好きのOさんが話しかけると、なんと平成生まれの芸妓さんでした。
花街にも興味があるOさんは大興奮で写真を撮るよう何度もせがまれます。
明治生まれのOさんと平成生まれの芸妓さん。
ここに、なんとも言えないツーショットが実現しました!
芸妓さんと車いすのOさん

旅のご希望を叶える難しさ

大満足のご様子のOさんでしたが、2日目の夜、少し疲れてきたのか少しだけ口数が減り始めました。
そんなOさんを元気づけようと、
「明日のお昼はOさんの食べたいものを食べましょう!何にしますか?」
と尋ねると、Oさんの口から出てきたのは「お寿司が食べたい。」とのお言葉でした。

翌日のお昼は、急遽探したお店でお寿司を食べました。
しかし、どうやらOさんのイメージと違っていたようで、「おいしいよ」とは言ってもらえましたが表情を見ると全く逆の様子でした。
後で聞くと、「長崎ぶらぶら寿司」の雰囲気の店で食べたかったとの一言。
旅行の難しさを痛感する出来事でした。

次はあそこに行きたい!

帰りの飛行機に乗ると一転、とても元気に話始めたOさん。
「最初は車いすに乗るのはいやだったが、乗ってみたら気分がよかった。」
「旅行は天国のようやった。今度は満州に行きたい。」
とのありがたいお言葉を頂きました。
これだけ喜んでいただけるとやみつきになりそうです。
事故に遭わなかったことをまず喜ぶべきですが、「次は◯◯へ行きたい」というお言葉をいただけたことはこれ以上ない喜びでした。
車いすで買い物

旅の現場の持つちから

最初のお客様であるOさんとの長崎旅行は今でもよく映像で出てくるほど覚えています。私がこの旅行で痛烈に感じたのは“旅の現場の持つ力”です。

長年会えていなかった息子さんと会えたこともあったかもしれませんが、旅行中とっても生き生きとされ、身振り手振りも大きく興奮して話をされるお姿が大変印象的でした。

あきらかに長崎という町に着いてから元気いっぱいになられていました。

また、相談を受けた時には「やわらかいものと生ものはあかん」とおっしゃっていたのに「お寿司を食べたい」とおっしゃったことにもとても驚きました。

おそらく行った先の街の雰囲気を感じて、急に食べたくなられたんだと思います。これも一種の“旅の現場の持つ力”なのかもしれません。

Oさんとはその約1年後に山口にご一緒しましたが、その後体調を崩され、2年後にお亡くなりになりました。Oさんが行きたいとおっしゃっていた満州旅行はとうとう実現しませんでしたが、亡くなられるまでずっと満州行きを夢見られていたこと自体は、Oさんの晩年の人生を豊かにしてくれたのではないかと思っています。

私はOさんから旅行中、旅行後にたくさんの“言葉のプレゼント”をいただきました。今でもOさんは“私の憧れのおじいちゃん”であり“人生の先生”であり続けています。

長崎の街を車いすで

介護旅行当時のOさんのご様子

  • 年齢・・・89歳
  • 性別・・・男性
  • 要介護認定・・・非該当
  • ご病気など・・・徐脈性心房細動・心不全・心室性期外収縮・高血圧症・弁膜症
ゆっくりとした歩行は可能だが車いすを使うようドクターから指示をされている。
利尿剤を服用しているため、20~30分に一度はトイレに行かれる。どのタイミングでもすぐトイレに案内できるよう下調べをした。

著者プロフィール

須貝 静すがい せい

NPO法人しゃらく理事。
6年間の中国雲南省・上海での生活を経て、4人のメンバーとNPO法人しゃらくを設立。
2008年に介護付き旅行事業「しゃらく旅倶楽部」を開始、管理者として数多くの高齢者の旅をサポートしている。

HP
http://www.123kobe.com/
須貝 静
投稿者
須貝 静
投稿日時
2014年7月2日
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